Founder's Story
私とSALON DE MATCHA
創業者 · Founder
MIKI · 上原未來
幼い頃の抹茶との出会い
日本には「茶道」という美しい伝統があります。抹茶を丁寧に点て、心を込めて客人に差し出す——その静謐な作法の世界です。
茶道に精通した母のもとで育った私にとって、抹茶はいつも特別な、どこか近寄りがたい存在でした。子どもの頃の楽しみといえば、お点前の前に出される季節の和菓子。あの小さな甘みこそが、私と抹茶の世界との最初の出会いでした。
パリで磨かれた美の視点
鹿児島生まれ、サンフランシスコ育ち。そして私の道はフランスへと続きました。ESRA Paris在学中に、ビデオジャーナリストとしてのキャリアをスタートさせ、パリ・コレクションを撮影し、時代の最前線をレンズで記録し続けました。
帰国後はラガルデール・アクティブ/アシェット人画報社(現ハースト婦人画報社)にてビデオプロデューサーとして入社し、ELLEをはじめとするラグジュアリーライフスタイル誌のデジタル戦略を牽引。独立後はLVMHグループ、読売新聞グループ、Télé 5 Mondeなどグローバルなメディア・ブランドとのコラボレーションを重ねてきました。約20年間、私が一貫して追い求めてきたのはただひとつ——対象の「素晴らしさ」を美しく言葉と映像で伝え広めること。
見過ごせなかった矛盾
2025年6月、カタールの親友からの何気ないひと言が、私の人生を変えました。
「本物の抹茶を、日本から持ってきてほしい」
現地で目にしたのは、衝撃的な現実でした。「MATCHA」は世界中で消費されていながら、その多くは文化的な深みも本質も失った、空虚なものでした。そして、世界における抹茶の語り手の中心が、日本人ではないという事実。
日本に戻り、さらに驚くべき真実に直面しました。私の故郷・鹿児島は、抹茶の原料となるてん茶の生産量で、いつしか日本一となっていた。にもかかわらず、鹿児島はその名を表に出すことなく、他産地のブランドを陰で支える「影の産地」に甘んじていたのです。本来の実力と社会的な認知の間に、深い構造的歪みがありました。
SALON DE MATCHAの誕生
メディアプロフェッショナルとして、私はもはや目を背けることができませんでした。世界中に広がる抹茶への誤解と、日本一でありながら多くの人に知られていない故郷の価値——その現実が、私の中に火をつけました。
「鹿児島の抹茶を、世界に愛されるラグジュアリーブランドへ。」
その願いから、SALON DE MATCHAは生まれました。
志を共にする仲間たちと、
ともに歩む旅
このビジョンを実現するため、私と同じくフランスで感性を磨き、故郷を愛する2人の仲間と手を組みました。
シェフ/鹿児島
Nobuyasu MORIOKA 森岡伸安
フランスのミシュラン三つ星レストラン「ジョルジュ・ブラン」で研鑽を積み、現在は調理師学校の理事長として次世代の食を担う森岡伸安。代々続く薩摩仕出し料理「典座」、ケータリング「Chef`s Table Kagoshima」を率い、伝統を守りながらフランスで培った至高の感性を融合させ、鹿児島のガストロノミーに新たな価値をもたらしています。
デザイナー/カタール
AZUMI アズミ
クリスチャン・ディオールのアトリエ主任や中東王室での勤務を経て、カタールにオートクチュールアトリエを構えるデザイナー、アズミ。桂由美アラビアプロジェクトを主導し、日本の伝統美である着物をドレスへと蘇らせ、古き良き伝統を守り継ぐ活動を行っています。
どんな場所も
あなたのお茶の間に
「SALON DE MATCHA」という名前は、パリで出会ったサロン文化に着想を得ています。どんな空間も、「一服の美味しい抹茶」があると特別な場所になる——オフィスでも、ホテルの一室でも、飛行機の中でも。そんな思いを込めました。
抹茶を起点に、鹿児島の火山的エネルギー、食、芸術——故郷の魅力を現代の形で世界へ伝え、出会うすべての人々に豊かさと幸せを届けること。それが、SALON DE MATCHAの存在理由です。